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2013/04/30

2011年春~2013年春 桜咲く石巻の風景


2011年春の石巻


▼ 震災から40日ほどが経過した、2011年の4月下旬の日和山公園。



▼ いつもの年と同じように桜が咲き、たくさんの人が日和山を訪れていた。



▼ 花見どころではない人も、たくさんいた時期。

「被災した街が見えて、つらい気持ちになるから、日和山には行きたくない」という人も
少なくなかった。



▼ 多くの建物が流失した、海岸近くの門脇町や南浜町。
道路は既に仮復旧され、通行可能となっていた。



▼ 被災家屋の解体作業も始まっていた。
壊されていく家を、そこで暮らしていた家族が見守っている。



▼ 津波と火災の被害を受けた門脇小学校。
黒く焦げた校舎のすぐそばでも、桜が花を咲かせていた。



▼ 高台の石巻市図書館では、自衛隊が共同浴場を設営。
茹でたそうめんを食べることもできた。



▼ 永巌寺となりの不動明王にも、共同浴場が設けられていた。
物資の配給も行われた。



▼ 中央1丁目の商店街では、青果店の守谷フルーツが、4月13日から営業を再開。
店内を片づけ、泥をかき出し、冷蔵ケースなどは一切ない状態からの再スタート。



▼ 津波被害を受けた建物は、石巻市内だけで約7万棟。
倒壊を免れていても、床上浸水した家を、ふたたび住める状態にするのは大変な作業だった。

泥水を吸って重くなった畳は、数人がかりでないと持ち上がらない。



▼ 市内のいたる所、津波が運んできた泥に覆われていた。



▼ 信号機の多くが、津波の被害を受け使用不能に。
全国から派遣されてきた警察官が、手信号で交通整理を行った。



▼ 満潮の時間が来るたびに、冠水が繰り返される地区もあった。
地震による地盤沈下の影響。



▼ 電気が復旧していない地区も多かった。
石巻駅近くの立町通りも、夜は真っ暗。



▼ 震災から49日が経過した、2011年4月28日。

犠牲者の仮埋葬が行われていた鰐山墓地の空地に、
多くの花が供えられていた。





2013年春の石巻


▼ 2013年4月21日、桜が満開となったばかりの石巻に雪が降った。
日和山の桜も雪化粧した。



▼ 悪天候にも関わらず、日和山公園を訪れる人は少なくなかった。



▼ 雪の翌日、22日からは、天気の良い日が何日か続いた。

2年前、仮設の浴場が設置されていた不動明王前。



▼ 日和山から1キロほど離れた所にある羽黒山。
頂上周辺には、日和山と同じように神社と公園があり、桜の木が植えられている。



▼ 羽黒山の北側の、明神山と呼ばれる一帯にも、桜の咲く公園と神社がある。



▼ 日和山の北斜面、通称「だいこん坂」の周辺。
市立女子高の生徒の通学路。



▼ 鰐山の崖から、石巻小学校を見下ろす。



▼ 4月22日の日和山公園。
平日にも関わらず、たくさんの人出で賑わう。



▼ 日和山公園の、ガチョウが飼われている小屋の周囲は、小さな子どもや母親の集まる場所。

いつもより人が多いせいか、
年老いたガチョウはしきりに鳴き声を出し、やや興奮気味だった。



▼ 写生の授業で、日和山を訪れた小学生。



▼ 日和山から見える石巻の風景は、日々変化を続けている。



▼ 海岸近くの門脇町や南浜町では、一部をのぞき、被災した建物の解体は終了している。



▼ 廃墟となってから、2年以上の時間が経過している門脇小学校。
校舎のそばにある桜の木は弱っており、震災直後よりも花の数が減っている。



▼ 門脇地区の北側の高台にある、日本製紙の社宅。
敷地内は桜並木が続いている。



▼ 桜並木の向こう側に、日本製紙石巻工場の煙突が見えた。
海辺に建つ工場は、津波によって大きな打撃を受けたものの、現在は完全復活している。



▼ 長浜海岸。
隣接する石巻漁港では、防波堤や岸壁の復旧工事が進んでいる。



▼ 長浜の西側、渡波地区は、カキの生産が盛ん。
町内のあちこちで、カキ養殖に使うホタテの貝殻を、つなぎ合わせる作業が行われていた。



▼ 渡波地区の、宮城水産高校の第2グラウンド。
仮設住宅が建ち並んでいる。



▼ 女川小学校の校庭で、徒競走の練習をする児童。
震災後、女川町の人口は急減し、3校あった小学校は、今春から1校に統合された。



▼ 石巻市内陸部の、須江小学校。

沿岸部からの居住者が相次ぎ、小学校の生徒数も急増している。
教室数が不足したため、プレハブの校舎が増築されている。



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