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2013/03/08

石巻市内16地点の、震災直後と2年後の風景比較


2011年の3月以来、石巻百景では、日々移り変わる石巻の様子を見てきました。

今回は、震災直後に撮影した写真の中から16枚をピックアップし、
2013年3月現在の様子と重ね合わせました。

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◆日和山から門脇地区を見る


震災2日後の門脇町、南浜町の様子です。
住宅の多くが押し流されたり、跡形もなく破壊されています。

大きな建物は石巻市立病院。
ヘリコプターが飛来し、病院に孤立していた患者の移送を行なっていました。

 

2年後。散乱していた家屋の残骸は片付けられ、更地が広がっています。
市立病院の解体工事も始まっています。




◆門脇町2丁目(日和山の石段)


震災2日後、日和山の急な石段を下って行くと、
津波に押し流された家屋が道を塞いでいました。

2年後の現在。
道の右側にはテニスコートが残っており、時おりテニスをする地元の人の姿を見かけます。




◆門脇町4丁目(西光寺墓地~門脇小学校校庭)


門脇小学校の周辺では、津波の直後から火災が発生していました。
震災から2日後の時点でも、煙がくすぶっています。

2年後。門脇小学校の校庭は、きれいに整地され、少年野球チームが練習に使うようになっています。
西光寺の墓地の墓石も、徐々に修復が進んでいます。




◆門脇町4丁目(県道240号線から門脇小学校方向)


震災2日後、門脇小学校の校舎は、火災で黒焦げになっています。
校庭に避難した車が、津波に流されてぶつかり合い、ガソリンに引火したのが火災の原因です。

道路ががれきに埋もれ、車が使えない状況の中、警察や自衛隊の人が、担架で遺体を運んでいます。

2年後。門脇小学校の校舎は、震災直後とほぼ同じ形で残っています。
密集して建っていた住宅や店舗のほとんどは、跡形もなく消えています。




◆日和山から中瀬方面を見る


北上川の中洲である中瀬地区は、
2軒の工場と、マンガ館、旧ハリストス正教会堂は残ったものの、
住宅、アパート、店舗、映画館、造船所などは、すべて流失しました。

2年後の現在、マンガ館の白い建物は改修され、展示のリニューアルも進められています。
歴史的建築物である旧ハリストス正教会堂は、灰色のシートに覆われ、今も壊れたままです。




◆中央1丁目(北上川の川岸)


津波は、北上川の川岸の地区にも押し寄せました。
多くの船が陸に乗り上げ、建物を破壊しました。

2年後、川岸の建物は次々と解体され、更地が広がっています。
今後、高い堤防が整備される計画となっています。




◆中央1丁目(蛇の目寿司前)


震災翌日、ポニーが街の中に迷い込んでいました。
中央1丁目には、2~3メートルの高さの津波が押し寄せています。


2年後。蛇の目寿司は日和山に移転しており、建物は解体されています。
商店の多くは閉店しましたが、映画館の日活パールは、2つあったスクリーンのうち1つが復活しています。




◆中央2丁目(アイトピア通り)


震災翌日のアイトピア商店街。交差点付近に大きな穴が開き、そこにタクシーが突っ込んでいます。
津波で壊れた店から、商品を持ち出す人の姿もありました。

2年後。アイトピアの核店舗だった生協スーパーは再開されることなく、改修されて集会所となりました。
人通りは震災前よりも大幅に減った印象です。




◆立町2丁目


津波によって運ばれてきた泥が、道路を覆っています。
震災から2~3日で応急的に通れるようになったものの、泥やガレキは5月頃まで残っていました。

2年後。白謙かまぼこ店や七十七銀行、飲食店など、7~8割の店が営業再開しています。
他の地区から移ってきた店や、新たに開業した店も目立ちます。




◆石巻駅前


石巻駅の周辺は土地が低いため、津波の水が流れ込んだまま溜まってしまい、
震災から3日ほど冠水が続きました。駅前の石巻市役所も孤立していました。

2年後。石巻駅前では被災した建物の解体が進む一方で、パチンコ店や料理店が再建されました。
三越のアンテナショップが出店し、マンションも建設中です。チェーン系の居酒屋の数も増えています。




◆内海橋


震災直後の内海橋。津波によって流されてきた住宅の残骸や、
製紙工場のロール紙などが積み重なり、その上を、多くの人が行き来していました。

2年後の内海橋。下流側の歩道の復旧工事が進められています。
2015年度をめどに、上流側に新しい橋が架けられることになり、現在の内海橋は解体される予定です。




◆吉野町2丁目(湊小学校プール前)


震災から10日後の湊地区です。震災直後の様子はこちらから。

国道の泥やがれきは、応急的に道路の横に寄せられています。
ガソリン不足のため、自転車や徒歩で行き来する人が多い頃でした。

2年後。国道沿いにある湊小学校は、1F部分がベニヤで塞がれ、現在は閉鎖されています。
現在と同じ場所に、新しい校舎が再建される予定です。




◆湊町1丁目(湊小学校前の歩道橋から)


震災10日後の国道398号。被災した消防車が放置され、道は一部冠水しています。
地盤沈下した湊地区では、満潮時などに海水が侵入する状況が、秋頃まで続きました。

2年後。被災した建物の解体が進みました。
湊地区の2軒のコンビニは、仮設店舗で復活しています。一部の個人店や水産加工場も再開しています。




◆吉野町3丁目(ヤマサコウショウ)


水産加工場のヤマサコウショウでは、工場内に流れ込んだがれきを燃やしていました。
電気やガスが止まっていたため、街のいたる所で、
がれきを燃やして炊事をしたり、暖を取る光景が見られました。

2年後。ヤマサコウショウの工場は復活しており、敷地の一角に新しい直売所もオープンしています。




◆泉町4丁目(ココストア)


品物が売り切れ、休業となったコンビニに、石巻日日新聞の壁新聞が張り出されていました。
印刷機が水没したため、手書きの新聞を出すしかなかったのです。

近くには河北新報の販売所もあり、震災直後は無料で新聞を配っていました。

2年後のココストア泉町店。焼きたてのパンを売るコーナーが新設され、平和な佇まいです。
周辺は高台で、震災後は新しい店や家が増え続けています。




◆日本製紙石巻工場


海岸沿いにある日本製紙石巻工場は、津波で大きなダメージを受けました。
工場周辺には、木材や、古紙の原料、巨大なロール紙などが散乱。
紙を輸送する貨物列車や線路も、破壊されました。

日本製紙は、懸命の復旧作業を行い、2011年秋に操業を一部再開。現在は完全復旧しています。
貨物の線路は、いったん全て外されましたが、2012年の秋までに敷き直されました。



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